北条氏康の人生を書籍で疑似体験しよう!

北条氏康の人物データー

  • 1515年〜1571年(享年56歳)
  • 出身国は相模(現在の神奈川県小田原市)
  • 小田原城主

北条氏康は、北条五代の中の三代目で相模の獅子と呼ばれ、戦場では上杉謙信や武田信玄とも幾度も戦い自ら出陣した戦いでは無敗という。

 

政治でも手腕を発揮した北条氏康の人生を、歴史小説で疑似体験してみよう!

 

北条氏康

(小田原城)

北条氏康関連の歴史小説おススメ3選

北条氏康 信玄・謙信と覇を競った関東の雄

 

 

北条早雲に始まる後北条氏5代。本書は、卓抜なる軍略と民政でその最盛期を築いた第3代・氏康の生涯を描く長編小説である。幼き日、大筒の爆裂音にさえ身を縮めるほどの弱虫であった氏康は、しかし家臣たちの厳しくも温かい養育により、16歳の初陣では立派に勝利をおさめる。以後、東の今川、武田、上杉勢等と互角に渡り合い、ついに念願の関東八州を制覇するのであった。

 

 

北条氏康 二世継承篇

 

 

偉大なる祖父・早雲。その志を継いだ父・氏鋼。関東制覇という一族の悲願を背負う三代目は、いかなる道をゆくのか。信玄・謙信との死闘に彩られた生涯を描き出す新シリーズ第一弾

 

 

北条氏康 関東に王道楽土を築いた男

 

 

北条五代の中でも傑出した事績を上げ、北条氏を躍進させた三代目北条氏康。河越合戦における天才的軍略、民を重視する理想的内政などの卓抜した手腕は、同時代を生きた謙信、信玄が最も恐れたものでもあった。江戸の泰平の礎を築いた、稀代の名将の素顔を生き生きと描く意欲作

 

 

北条氏康の書籍を他にもいろいろと探してみましょう。

電子ブックとオーディオブック

北条氏康の書籍を電子書籍でも探してみましょう。歴史小説などは多くはないですが、あればスマホやタブレッドなどで読めるし安いので便利です。

 

電子書籍で北条氏康の書籍を探そう!

 





 

『耳で聴く本』で楽しむオーディオブックでは、本の内容が聞けるのでとっても便利です。

 



北条氏康とは?

派手さは無いので一般的な知名度はイマイチかも知れないが、歴史好きな人の中では攻めても良く守っても良い名将として知られている。

 

政治能力は優れていて領民には人気があったといい、知性と強さの両面で評価される素晴らし武将である。

北条氏康の経歴

簡単に北条氏康の経歴を紹介しておきます。

 

多少でも知っておくと書籍を読むときに楽しくなるでしょう。

 

1515年

後北条の初代として有名な北条早雲の存命中に、2代目当主の北条氏綱の嫡男として生まれる。

 

実はこの時には『北条』の性は名乗っておらず、伊勢の性を名乗っていましたが、氏康が7歳くらいから父の氏綱が北条を名乗るようになる。

 

1529年〜1530年

元服は1529年の15歳頃にして、初陣は上杉朝興との小沢原の戦いで、上杉の陣に急襲して大勝したという。

 

1535年と1537年

1535年に甲斐山中合戦
1537年に河越城攻略などに出陣して戦功をあげる。

 

1538年

北条氏は足利義明と里見氏、そして房総諸将との連合軍との合戦である第一次国府台の戦いで勝利する。

 

1541年

父の氏綱が死去し、第三代当主として家督を継ぐ。

 

1545年

この年は氏康にとっても北条家にとっても命運を分けた年といえる。

 

駿河の今川義元が関東管領の上杉憲政と扇谷上杉朝定と連携して、北条氏綱時代に奪われていた東駿河を奪還するために攻勢をかけてくる。

 

今川軍には吉原城と長久保城を自落させられるなどの不利な状況で、さらに両上杉の大軍が氏康の義弟である北条綱成が守る河越城を包囲して、東西から挟み撃ちにあう絶体絶命の状況となる。

 

この危機に氏康は片方を収めるために、武田晴信(信玄)に斡旋してもらい、今川義元に東駿河の河東地域を割譲することで和睦。

 

これで河越城に向かう事ができましたが、上杉連合軍は足利晴氏までも加わって、連合軍はなんと8万人もの大軍勢になっていた。

 

対する氏康は1万人未満しかいなくて、数的には圧倒的に劣勢の状況。

 

そこで、氏康は両上杉と足利に『奪った領土はお返しする』という手紙を送り油断を誘う。

 

1546年

相手の油断を誘って、氏康は城内の綱成と連携して夜襲をかけることに成功。

 

扇谷上杉氏は滅亡し、上杉憲政は上野国平井に敗走し、足利晴氏も下総国に遁走。

 

これを河越城の戦いと言いますが、この戦いが氏康の最大の危機でありましたが、見事乗り切った結果になった。

 

河越夜戦ともいう。

 

1549年

とはいえ、危機は軍事面だけではなく、1549年に関東で発生した大地震で、農民が村や田畑を放棄しての逃亡が大規模におきる。

 

これを「国中諸郡退転」といって、深刻な状況になったため、1550年に公事赦免令を発令します。

 

簡単にいえば諸税を撤廃するもので、北条氏が全領国規模で行った初めての徳政となる。

 

1550年〜1551年

1550年に上杉憲政の居城平井城を攻め、翌年の1551年には平井城を落城させて、上杉憲政を厩橋城、白井城へと追い詰めていく。

 

1552年

上杉憲政は、1552年には長尾景虎、のちの上杉謙信の元に身を寄せるまでになる。

 

1554年

北条氏康、武田信玄、今川義元がそれぞれ娘を嫁がせることで、戦国時代の和平協定の一つである甲相駿三国同盟が結ばれた。

 

1559年

永禄の飢饉という大飢饉が発生し、その責をとる形で家督を次男の氏政に譲って隠居。

 

とはいえ、氏政を後見する形で政治や軍事の実権は掌握していた。

 

1560年

上杉謙信が関東へ侵攻して小田原城の戦いとなり、北条家はじめての小田原城への攻撃を受ける。

 

1564年

里見義堯と義弘父子と上総国などの支配権をめぐって第二次国府台の戦いがあり、北条軍が勝って里見は安房国に撤退。

 

1565年

第一次関宿合戦

 

1566年

1566年以降は隠居して、実質的に息子に任せるようになる。

 

1568年

今川義元が信長に討たれた以降、今川家が衰退し武田信玄が駿河進行したことで三国同盟は破棄になった。

 

1571年

小田原城において死没。

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