筒井順慶の人生を書籍で疑似体験しよう!

筒井順慶の人物データー

  • 1549年〜1584年(享年36歳)
  • 出身国は大和国(現在の奈良県大和郡山市)
  • 大和郡山城

 

筒井順慶は『洞ヶ峠を決め込む』の逸話で悪名が残りますが、実話ではなく俗説といいます。苦労を重ねて大和一国を任された武将の生涯を読んでみましょう。

 

筒井順慶

筒井順慶関連の歴史小説おススメ3選

筒井順慶の悩める六月

 

 

日向守、なんで上様を討ってもうたんや──日本史上屈指のクーデター・本能寺の変。日向守(明智光秀)と上様(織田信長)、双方に縁続きの筒井順慶は、恩と義、そしてお家の存続と政治力学の板挟みとなって苦悩する。「日和見順慶」との風評被害を受ける筒井順慶の真の人間像と、武将間の駆け引きをリアルにコミカルに描き切る、これぞ「読まなきゃ損」の歴史的傑作。

 

 

筒井順慶 勝機を見ぬいた知将

 

 

藤田伝五は両手をつき、順慶を強く見つめて懇願した。「主人・明智光秀はいま洞ヶ峠にて、筒井さまの軍が合流されるのをお待ちしております」。しかし、順慶はこういい放った。「光秀どのに、善戦を心よりお祈りするとお伝えください」と……。山崎合戦において実質上の勝敗を決した男・筒井順慶。日和見の汚名の下に隠された真のリーダーの素顔を浮き彫りにする書き下ろし歴史小説。

 

 

筒井順慶 (金松誠)

 

 

洞ヶ峠での日和見はなかった!戦国乱世のなか、一介の国人から大和国主までのぼりつめた大立者。順慶の去就が、山崎合戦で光秀・秀吉の命運を左右する

 

 

筒井順慶の書籍を他にもいろいろと探してみましょう。

 

電子ブックとオーディオブック

筒井順慶の書籍を電子書籍でも探してみましょう。歴史小説などは多くはないですが、あればスマホやタブレッドなどで読めるし安いので便利です。

 

電子書籍で筒井順慶の書籍を探そう!

 





 

『耳で聴く本』で楽しむオーディオブックでは、本の内容が聞けるのでとっても便利です。

 



筒井順慶とは?

筒井順慶は、『洞ヶ峠を決め込む』という逸話で一般的には評判の悪い武将。

 

洞ヶ峠を決め込むとは、山崎の戦いで明智と羽柴の双方から加勢を依頼されたが、洞ヶ峠まで兵を進めながらもどちらに付くか日和見をしたという伝説があったので、日和見する事を洞ヶ峠あるいは洞ヶ峠を決め込むといいます。

 

しかしこれは事実ではないというのが今の史実。

 

筒井順慶というと、この洞ヶ峠の逸話が有名になっていますが、実際は世間で語られるほど無能ではなく、外交力や軍事力を駆使して大和国を支配した立派な武将。

 

筒井順慶の人生は、この洞ヶ峠より前の人生がかなり波乱万丈ともいえるので、歴史小説で疑似体験して学んでみましょう。

筒井順慶の経歴

簡単に筒井順慶の経歴を紹介しておきます。

 

多少でも知っておくと書籍を読むときに楽しくなるでしょう。

 

1549年

大和国の戦国大名である筒井順昭の子として生まれる。

 

1550年

筒井順慶がまだ2歳の時に、父の順昭が28歳という若さで病死してしまい、叔父である筒井順政が後見として家督を継ぐ。

 

元の木阿弥

余談ですが、『元の木阿弥』という言葉がありますが、これは順昭が自分の死を1年間は秘して、自分とよく似た木阿弥という僧を身代わりの影武者とするように命じました。

 

他界した順昭は人知れず葬られて木阿弥が身代わりとしていたため、他勢力は順昭の生存を信じて攻め込むことができませんでした。

 

その後、影武者の役割を無事に終えた木阿弥は元の生活に戻ったことから、元の木阿弥という言葉が生まれたのです。

 

よくなったものが再びもとの状態に戻ったという事です。

 

僧の国

大和国は少し特殊な国です。

 

守護職の存在しない国で、僧兵をようした興福寺の勢力が強く、筒井家は興福寺一乗院に属する有力宗徒が武士化して戦国大名化となります。

 

1559年

三好長慶の家臣であった松永久秀が大和に侵攻し、ここから10年以上も松永久秀との戦いに突入。

 

1562年・1564年

1562年は筒井家と協力関係にあった十市遠勝が松永の軍門に下り、1564年には叔父の順政が死去してしまい順慶にとってはとても厳しい状況となる。

 

松永は順慶の筒井城を落とし、順啓は一族の布施氏を頼って布施城に落ちていく。

 

1566年

布施氏の下で力を蓄え、松永久秀は三好三人衆と決裂していたため、順慶は三好三人衆と結託して筒井城の奪還を図る。

 

松永は三好との戦いに追われているため、形勢不利とみて順慶と和議を結び、筒井城は順慶に戻ることになる。

 

1567年

三人衆と再び結託して奈良の大仏殿を占拠して要塞化し松永と対峙し、東大寺の大仏殿が焼けて落ちてしまう。

 

1568年

織田信長の上洛によって状況は大きく変わって、松永はいち早く信長に臣従し、信長が三好三人衆を攻めたことから松永は再び筒井城を奪う。

 

順慶は叔父の福住順弘の福住城に退くことになる。

 

ただ、信長と松永の関係は険悪となっていき、その間に順慶は新たに辰市城を築くなどして勢力を回復していく。

 

1571年

順慶は辰市城の近くで松永と三好義継連合軍を破って筒井城を奪還。

 

筒井城は松永の信貴山城と多聞山城を繋ぐ経路が分断される状況になって、松永にとっては劣勢になる。

 

順慶は明智光秀の仲介で信長に臣従し、松永も佐久間信盛を通じて信長に臣従したので順慶と松永は和睦する。

 

1572年

松永久秀は三好義継と三好三人衆と組んで信長に謀反を起こす。

 

1576年

順慶は信長の配下として数々の合戦で武功をたてて1576年に大和守護に任じらる。

 

1577年

順慶は信貴山城に籠城する松永を討つことができ、宿敵との戦いにけりをつけることになる。

 

1580年

居城を筒井城から大和郡山城に移す。

 

1582年

本能寺の変で信長が討たれて、その後の山崎の合戦で順慶が洞ケ峠で日和見を決め込んだという逸話になる。

 

1584年

小牧・長久手の戦いに参加はしますが、大和に帰還してほどなく36歳という若さで没っす。

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