蒲生氏郷の人生を書籍で疑似体験しよう!

蒲生氏郷の人生データー

  • 1556年〜1595年(享年40歳)
  • 出身は近江国(現在の滋賀県蒲生郡)
  • 陸奥の大名

 

蒲生氏郷は、織田信長が一目で認めた大器で、戦場での武功だけでなく領地の経営や家臣の統制などにも長けた武将。

 

東北の大大名にのし上がり、世に優れたる利発人と称された蒲生氏郷の生涯を書籍で体感してみましょう。

 

蒲生氏郷

 

蒲生氏郷像

蒲生氏郷の書籍一覧

蒲生氏郷―おもひきや人の行方ぞ定めなき

 

 

蒲生氏郷(一五五六~一五九五)織豊期の大名。近江日野の名門武家に生まれ、信長、秀吉に仕えて活躍、伊勢松坂一二万石、そして会津若松九二万石へと栄転した氏郷。天下統一戦のなか最新の軍制導入により、近世大名へと蒲生家を転換させようとした文武両道の武将像を描く。

 

 

全一冊 小説 蒲生氏郷

 

 

かつて織田信長から受けた薫陶を忘れず、商人優遇の領地経営を心がける戦国武将・蒲生氏郷。戦場往来で出世を重ね、独自の経営哲学を実践する彼の周囲では、さまざまな商人が、新たな人生を切り拓いていく。乱世に芽吹いた、商いの道とは何か。後に「近江商人育ての親」と呼ばれる蒲生氏郷の生涯を通じて“商いの原点”を、高らかに謳い上げた異色の戦国ロマン。全一冊・決定版。

 

 

蒲生氏郷 (読みなおす日本史)

 

 

近江の土豪から頭角をあらわし、信長・秀吉のもとで才能を発揮。徳川・毛利に次ぐ広大な領地を有する大大名にいたるも急逝した氏郷の生涯を辿る。キリシタン大名、利休七哲としての交友や、伊達政宗との関係も検証。

 

 

レオン氏郷

 

 

織田信長に見出されて娘婿となり、その薫陶を受けて成長した蒲生氏郷。世界とわたり合うために天下統一を急ぐ信長の下、活躍を続ける氏郷だったが、長島一向一揆での惨劇を目にして心が大きく揺らぎ始めた。そして本能寺の変が…。茶人やキリシタンとしても知られる氏郷には、その器量を畏れた秀吉が毒を盛ったとの説も。死の謎に迫るとともに、グローバルな視点から蒲生氏郷の人生を骨太の筆致で描く長編小説。

 

 

蒲生氏郷物語

 

 

幼少にして信長にその才を見出され、文武両道にすぐれた武将として戦国乱世を駆け抜けた「未完の天下人」蒲生氏郷。大将ながら戦場で抜群の槍働きをなし、平時は城下の整備発展に尽くしたという稀有の名将は、いかにして戦国の階梯を昇っていったのか。さまざまな史料を駆使しつつ、会津92万石の名宰相にして悲運の人・氏郷の生涯をドラマチックに描き出す。

 

 

蒲生氏郷の書籍を他にもいろいろと探してみましょう。

 

電子ブックとオーディオブック

蒲生氏郷の書籍を電子書籍でも探してみましょう。歴史小説などは多くはないですが、あればスマホやタブレッドなどで読めるし安いので便利です。

 

電子書籍で蒲生氏郷の書籍を探そう!

 





 

『耳で聴く本』で楽しむオーディオブックでは、本の内容が聞けるのでとっても便利です。

 



蒲生氏郷のマンガと参考書籍

蒲生氏郷とは?

蒲生家は南近江で大名だった六角氏の重臣でしたが、六角家が織田信長に敗れると12歳の時に人質に出されます。

 

ただ立場は人質ですが、その人質の氏郷と面会した信長は、『「蒲生の子は眼つきが尋常ではない。あっぱれな若者である。いずれは我が娘婿にしてくれよう」と一度見ただけで言ったいいます。

 

幼少ながら、その才の一端を信長は見抜いたといえますが、見抜いた信長もたいした人ですが、見抜かれるくらいの度量があった氏郷もたいした男であるといえます。

 

氏郷が成人する時には、信長が烏帽子親になったとも言うので、相当に気に入られたのでしょう。

 

その後は地味ながらも次々と武功をあげていき、本能寺の変後は豊臣秀吉に付きます。

 

秀吉からも信頼されて、伊達政宗をけん制する役目として、会津に91万石の大大名となるのです。

 

ただ40歳という若さでなくなってしまうので、歴史に『ればたら』は無いですが、もし氏郷がもう少し長生したら歴史は変わっていたのではないかと思わせてくれる武将でしょう。

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